あのアフリカの旅に出てから一年以上がすぎた。
旅とは言ってもGWぐらいの日数だ。今年のGWにはヨルダンやイスラエルに行こうとしていたが全然それどころではない事態になってしまっていた。毎日のように「なんで俺は東京にいるんだろう」とか考えていた。お盆休みのインドだって当然中止だ。
そんな一週間の旅は我慢できるが思い切ってもう一度受けようと健康診断を受けて応募書類を作った協力隊。選考自体が中止になってしまった。
私の周りには海外行くのが延期となってしまった人、諦めてしまった人が大勢いる。
一人は協力隊でパラグアイだかウルグアイだかに行くとなり、研修まで終えた仲間。仕事も辞めてしまっているため先が見通せないとのことだ。詳細は聞いていない。
一人は仕事を辞めてベトナムで働きたいと言っている仲間。何度もベトナムに通っていたが、そんな彼も環境が変わったこともあり、タイミングを完全に逸してしまっていたみたいだ。モチベーションは低くなっただろう。
仕事でシンガポールに赴任することになった仲間。半年以上延期とのこと。今シンガポールに行ったところでリモートでやらなくてはならないようで行く意義を感じないとのことだ。私をおいて彼の周りも環境が変わり、タイミングは悩んでいるみたいだ。
そんな私は、勤めている企業のグループ企業への出向となり業務自体が変わった。またタイミングがずれてしまった。
私は食品の原料系のメーカーに勤めていることもありありがたいことに特段影響を受けていない。研究開発という業務の性質上、残念ながら在宅勤務もほとんどない。
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厳密に言わなくても、私が旅人になった日は社会人3年目のGW。大学院を出ているため27歳。
ラトビアだった。実際にはフィンランド、ラトビア、エストニアとぐるっと回る初めてのひとり旅であるが、ラトビアが最も印象深く、あのタイミングで、あの便でラトビアに行かなかったら、良くも悪くも今の自分はない。
良いか悪いかはわからない。1世紀近く続く伝統ある日本のメーカーで研究開発をする私は上司にとっては異分子かもしれない。プライベートでは明確な趣味ができ、仲間が増え、知識が増えた。当時の恋人とはうまくいかなくなった(しかしズルズルと付き合い続けた)。
私のアナザースカイであるラトビアについて語るのはいつかの別の頁にしよう。そんなラトビアの旅から旅に魅了された私は限られた長期休暇のたびに海外へ出かけた。世界史のPodcastを聴いたり予備校講師による社会人向けの講義を聞いて世界史の勉強をした。世界遺産検定2級を取った。さらにエスカレートして青年海外協力隊を受けたりもした。
旅がきっかけで仲間が増え、気がつけばその仲間たちが最も深い絆で結ばれることになった(と少なくとも私は思っている)。
2019年のGW、仲間とジンバブエとその周辺国に行った。
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2020年9月、日本のC19は落ち着いた様相を呈し始めたとはいえ冬場はどうなるかわからない。海外もどういう対応なのかわからない。むしろ日本側が良くても受け入れ側がわからないし、会社は二週間自宅待機を要求することがわかっており現実的には海外に行くことは当分先だろう。
ジンバブエのコロナの状況はどうだろうか。簡単に調べたところ7月末に大臣が亡くなったりしているようだが、日本では地政学的に遠く報道される気配もない(もっとも私にテレビを見る文化がないため報道されてもわからないが)。報道されたとしてもデータの信憑性も疑わしい。それよりもどさくさで与野党間で運動が弾圧されたりと穏やかではない。
ジンバブエのC19の状況が報道されてたとしても、あの小さなビレッジは報道されないのだろう。
旅ができない旅人ほど悲しいものはない。というのはただの諦めで、旅ができないからこそ見直すことも多くある。
前提として、私の仲間はほとんど全員旅に行くことができないが、旅に出たいことは間違いない。そんな仲間らと一緒に海外に行くことはあまりない(あっても一部の人のみ)である。しかし今年はオンラインで飲んだり、良識の範囲内で集まったり国内旅行に出かけてりする。そう、旅情が足りなくたってやることはたくさんあるのだ。
日本の美しさを再発見なんてチープな言い方だが、山に登らなかった仲間が登山に目覚めたりダイビングのライセンスを取ったりと新しい動きも見えている。
自分は何をすればいいのだろう。嘆かわしくもブログへのアクセス数も激減した。強いていう新しい挑戦といえばダイビングでカメラを使うようになったこと。それぐらいだろうか。
案外、私のように社会人になってから旅が好きになった人も多い。
旅に出た想いはみな違う。
旅のスタイルや好きな場所はそれぞれだ。
ただ、旅が好きだ。
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ふと思う、旅と旅行の違いななんだろうか。
「ひとり旅」と表現はするが「ひとり旅行」とは滅多に言わない。
友人と一致した定義だが「旅」は思うこと通りに行かなかったり辛いこともあったり発散だけではないニュアンスがある。ストイシズムとでも呼ぼうか。
「旅行」は仲間と楽しく過ごす、豪華に過ごす。そんなイメージだ。
そういう意味で登山と旅は似ている。いずれも必ずしも楽しいことばかりではないが、かけがえのない価値観の変化があったりする。
それが理由なのか、旅好きは登山好きになれたりする。そこにはストイシズムがあるからなのだろうか。
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「なんで東京にいるんだろう」と思いながら、今日も一日過ごす。
「なんで日本にいるんだろう」と思いながら、会社に行く。
私は旅人になって人生が変わった。
私は旅人になってよかったと、あの日、あの時、ラトビアに行ってよかったと信じている。
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