このページでは北マケドニアについてご案内します。歴史を紐解きながら、なぜ国名が「マケドニア」ではなく「マケドニア旧ユーゴスラビア」であり、その後に「北マケドニア」という名称になったのかを会説していきます。
北マケドニアとは。
北マケドニアはギリシャの隣にある共和国。
名称問題でギリシャとうまくいっておらず、2020年ごろまでは「マケドニア旧ユーゴスラビア」という国名でした(後述)。
観光地としては有名なオフリド湖があります。
・人口
200万人ぐらい
・民族
北マケドニア人、ってそもそもなんなのか。たぶん非常に難しい問題です。この国のアイデンティティに関わることだと思います。
民族としてはおそらく存在しないし、言語的ないし宗教的な分類もおそらく難しいです。
とはいえ、北マケドニアというナショナリズムがあって建国されているので、複雑。
・首都
スコピエ Skopje
・通貨
デナール。DENって書きます。ユーロも一部使えることがありますが、原則としてDEN。
だいたい1DEN=2円 なので計算が簡単。物価が安いため、スーパーでお土産爆買いしても大丈夫!
・言語
マケドニア語、アルバニア語など
・文字
キリル文字
これからどうする北マケドニア?
・名称問題→一応解決
これも隣国との関係において大きな影を落としてい増田。
ギリシャに「マケドニア」という地方があり、ギリシャとしては「マケドニア」を違う国に国名として名乗って欲しくない。マケドニアはご存知の通りアレクサンドロス大王が築いた巨大国家の名称であり、由緒ある名前だからです。
そのためギリシャは「マケドニア」という国名を認めず、北マケドニアは「マケドニア 旧ユーゴスラビア共和国」と名乗っていました。
北マケドニアというのは地域の名称であって、ギリシャ・ブルガリアにまたがります。ギリシャのテッサロニキにあるバスターミナルの名前も「マケドニアバスターミナル」。
2019年に国名を「マケドニア 旧ユーゴスラビア共和国」から「北マケドニア」に変えました。
・隣国との関係
EUは未加盟。名称問題解決後にNATOへ加盟。
アルバニアとの関係も良くなく、スコピエや道中にアルバニアの国旗がたくさんみられます。
・歴史
紀元前4〜3世紀:マケドニア王国(イシュリア人・トラキア人)アレクサンドロス大王の時代
紀元前2世紀:ローマ帝国
紀元前146年:東ローマ帝国
西ゴート人・フン族・アヴァール・スラブ人・ブルガール人が侵入
9世紀:第一次ブルガリア帝国 シメオン1世
10世紀ぐらい:東ローマ帝国
978年:オフリドを首都としてブルガリア帝国の再拡大
1080年:東ローマ帝国
群雄割拠の時代(第二次ブルガリア帝国、セルビア王国、ラテン帝国、ニカイア帝国)、セルビア王国が勝つ(ステファン・ウロシュ3世デチャンスキ)
1371年:マリツァ川の戦いなどを経てオスマン帝国支配下
1878年:ブルガリア公国→列強の手によって再びオスマン帝国。とはいえスラブ人が多いので納得していない。
1903年:オスマン帝国から独立したいイリンデン蜂起
1912年:第一次バルカン戦争。オスマンからは離れるが、ブルガリアセルビアギリシャのどこのものになるかまとまらない。
1913年:第二次バルカン戦争。南部はギリシャ、北部はセルビアとなる。後者がのちのマケドニア共和国の領土。
1914年:第一次世界大戦。ブルガリアが負けて南部のギリシャ領は住民交換の対象。北部はユーゴスラビアを構成。
1939年:第二次世界大戦。ブルガリアがマケドニアの大部分を取る。が、ブルガリアが負けてユーゴスラビアがマケドニアの北西部を取る。
1991年:独立
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治安は特別は悪くないので、ぜひ訪れてみてください!
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