メメント・モリ。
先日スノボに行っているときに初めて耳にした。
悩める私に、私の登山のご師匠さんが教えてくれた言葉である。
メメント・モリ。
自分のお葬式にはどんな人が来てほしいか。どんな風にしたいか。
できれば知っている人には来てほしいし、できるのであれば知らない人に来てほしい。世界からきてほしいけれど、多分難しい。
結局は家族、昔からの友人、山仲間、同僚・・要は自分の属するコミュニティ。
単純に人脈やコミュニティが広い方がお葬式は華やかになる。
メメント・モリ。
memento mori。「自分はいつか必ず死ぬということを忘れるな」。
古代ローマでは「今を楽しく」、その後のキリスト教世界では「来世への期待」とニュアンスが違うようだ。
メメント・モリ。
スティーブ・ジョブスのスピーチでは「今日が最後の日でも、今からやろうとしていることと同じことをするだろうか。」と問いかける。
これだと何かに準備するとかそういう考えはなくなってしまうから極論だけれど、常に自分の死に問いかける。
このスピーチでは「他人の雑音の中で、自分の心の声を聞き逃さないように」と締める。
ちょっとこのワードでググってみると、スピリチュアル的なものやビジュアル系バンドが出てきたりで結構胡散臭いけれど、常に一生懸命に、やりたいことをやっていくことの背中を押してくれている言葉だろう。
人は「今」しか生きられない。「過去」は戻れないし、「未来」は流動的。
今は何をするときだ?
どんな未来を作る?
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