【ミャンマー ヤンゴン】東南アジアなエネルギーのシワに詰まった、夢と永遠と平和とミャンマー

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2017年にミャンマーという国に行った。

選んだ理由は特にないのだが、この年はカレンダーが悪く休みが少ししか取れなそうな気がしたため直行便があってあまり人が行かなそうなところという視点で選択した気がする。

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ミャンマーといえば三大仏教遺跡の一つであるバガンが有名である。次に有名なのはゴールデンロックだろうか。旅行が好きな人ならマンダレーやインレー湖とかを知っているかもしれない。

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タイトな旅であったので、私はバガンとヤンゴンにしか行くことができず、ゴールデンロックにも行けていない。なんとも不完全燃焼な旅だ。だが積み残すことで「また行こう」と思えることは悪いことではない。

当時のミャンマーは、2015年の総選挙で圧勝したNLDを率いるアウンサン・スー・チー女史が国軍から解放されて一年が経ち、対外的にも治安的にも良好であった。

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入社して4年目の夏。仕事に慣れていろんなことに嫌気がさしてしばらく経っている頃だ。

行ったのはちょうどお盆の頃、日本はむせかえるような酷暑で、オリンピックまであと三年、本当にこの暑い中やっていいのかとか思っていたりした。東南アジア地域は当然雨季。しかし「雨季だから」とか言っていると永遠に行くことができなくなる。

私は贅沢にも直行便のANA様を利用してヤンゴンに飛んだ。ハイシーズンとはいえもっと安く行けることは間違いないのだが、スケジュール的に厳しかったことも言い訳にして8万円ぐらいで往復を抑えられたからいいことにしておく。

着いてすぐ、空港で鬱陶しいタクシーの客引きを追っ払いながらも、タクシーに乗らねば21時過ぎのバガン行きの夜行バスに乗られないので適当な運転手を捕まえてタクシーに乗っかった。

バスターミナルは案外エアポートから遠く、また通った道もかなり暗かったことから、気の小さい私は、心配になってタクシーの中ではGPSで居場所と目的地を確認していたことを記憶している。

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バガンで一泊、往復のバスで二泊してヤンゴンに戻った。ヤンゴンの街を見るのは初めてだ。

アジア独特のダーティーでエネルギッシュな街が、そこにはあった。

なんだかんだ、アジアは後回しにしてきて自分の意思では韓国ぐらいしかちゃんと行ったことがなかったが、昔、家族旅行で行った東南アジアだか台湾で見た、その力強さがあった。

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片側三車線はある道路にびっしりと詰まる自動車、隙のない密度で立ち並ぶ商店、各ブロックのストリートにびっしりと並ぶ屋台、そして人。コロニアル様式の建物は少ない。壊れたままのビルやトタンの建物が散見される。いわゆる「外資」のチェーン店はほとんど見られないみたいだ。

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ここに来るまでで知っていたことなのだが、右車線なのに右ハンドルという意味不明さ。一方で右ハンドルの日本車が人気で、ドアは反対側にくり抜かれたりしている。誠に合理性に欠く。このチグハグな状態は1970年代に時の政権が車線を左から右に変えると反イギリスの流れでやってのけた強行策とのことだ。日本はいまだに電力の周波数も東西で違うままなのだから大したものだと思う一方で、強靭な権威主義だから出来たことでもあろう。

なお2018年に右ハンドル車の輸入が禁止され、日本車の輸出が実質的に不可能になった。日本は新たなセカンドハンドマーケットを探さなければいけない一方で、日本は右ハンドルの少数派に属しているためなんとももどかしい。タクシーの運転手曰く、「日本車は壊れにくく、壊れてもすぐに部品が手に入るから人気がある」ということだ。

ヤンゴンの街をだらだら走る自動車たちは勝手に思い描いていたほど古い車両はなく、20年落ちしていないぐらいだろうか、日本で走っていも「古いな」ぐらいの印象で終わってしまうぐらいのものがほとんどだ。ミャンマーの経済発展によるものでもあり、おそらくそれはこのヤンゴン限定的なものでもあるのだろう。

さらにいうと大型車はヒュンダイのような韓国車が目立つ。おそらくここにもハンドルの問題があるのだろう。

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どこまでが汗でどこからが空気の湿度感かわからなくなるような空気感は、日本のそれとは違う軽やかさがある。バガンの刺すような白い日光とはまた違う、もっと粘度がある。

ここでの私のミッションは一つ、ウェイというビルマ人に会うことだ。ウェイは私が大学生の時に実家に数日ホームステイしに来ていたという青年だ。当時は日本でいう中学生ぐらいだったろうか。私が大学生の時の実家の話だから私は東京にいたから私は会っていない。

母が「ミャンマーに行くなら会ってきて欲しい」と言ったから、会うことをスケジューリングした。向こうとしても私に会っていないわけだからどんな顔をして、どんな気持ちで会うのか正直よくわからないけれど、まぁわからないなりに楽しいだろう。

こういう時にはまがいなりにも英語でメールをかけて良かったと思う。

そんな彼に会うまでにまだ十二分に時間はあった。

泊まった宿はチャンミーゲストハウスというところ。12USD。

ちゃんと地球の歩き方にも載っているのだが、歩き方あるある、というかGPSでもそうなのだが、ちょっとでもズレたりすると空中階(要は二階以上)の店舗や認識できない看板の空間には辿り着けない。過去に何度も同じように宿の目の前を行ったり来たりして「おかしいなぁここなんだけどなぁ」と右往左往してしまうのが情けない。結局、この時も宿の目の前で「ここってどうやって行くんですか」と聞いたりした。そういう謎のコミュ力は身につくものだ。

ゲストハウスとしては悪くはなく、清潔なベッドがあり、水回りにはドライヤーなどがある。フロントには防犯カメラがある。全くそんな感じはしなかったが、逆にいうと治安が悪い通りなのだろうか。

暇を持て余しても仕方がない。ゲストハウスでサボるのも悪くないが、今回の旅は時間も限られていることだし、とりあえず外に出よう。

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私は一人旅を満喫するために、とりあえず時間が許す限り歩いた。

ヤンゴンのダウンタウンの真ん中にあるスーレーパヤーなるところに行ってみた。特筆事項はないが、まぁ街の真ん中にあってでかいので時間があれば行くのも一興だろう。

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歩き方を見てなんとなく目に止まったBBQストリートなるところに行くことにした。バスに乗ったりタクシーに乗ったりしてもいいのだが、旅の基本は徒歩なのでとりあえず歩こう。

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BBQストリートはその名の通り、道端にコンロがあって海の風を浴びながらいつでもどこでもバーベキューができます、みたいなオーストラリアのワーホリピープルが言うような優雅な通りではない。

当然ヤンゴンの喧騒感あふれる中にちょっと串焼きのようなものを扱う居酒屋が多く集まっている、ぐらいの解釈でいいのではないか。なので期待しても無駄だし、期待しなくていいと言っても嘘である。

私はてこてこと歩いてそこに辿り着いたが、そこで雨が降ってきた。雨季だから当然なのだが、この旅で初めての雨である。東南アジアなのだからスコールぐらいあろう。いいとか悪いとか好きとか嫌いとか泣くとか笑うとか飛ぶとか泳ぐではなく、日本のゲリラ豪雨よりも断然ナチュラルだ。

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とはいえそんな呑気なことも行っていられないし、ちょうどお茶がしたいぐらいの時間なので適当にカフェ(というと聞こえがいいのでそう言う)に入ってみた。いつか、ハバナの街で、ヘミングウェイが飲んだというダイキリを飲んだことを思い出した。ヘミングウェイの本なんて、老人と海しか読んだことがないのに、気取って。

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ウェイには私が泊まるしょうもないゲストハウスの名前を伝えてあり、迎えにきてくれると約束をしていた。疲れもしたのでゲストハウスに戻ることにした。

ゲストハウスで何をしたかは覚えていないが、日記をつけたりとか寝たりとかした程度の忘れる程度のことなのだろう。

約束の18時から大きく遅れてウェイはやってきた。正直、もう来ないと思ったし、来なくてもいいかとも思っていた。初めて会う彼は長い髪を後ろで結び、大きなメガネに髭がとても印象的な青年だ。褐色の肌は健康的によく似合うスタイルで、クリエイティブかチャラいITの仕事をしているみたいな第一印象だ。古き悪、いや古き良き日本企業で働く私にとっては羨ましくもある一方で、何を話せばいいのかわからなくなる。

「ウェイです。ヤンゴンに来てくれてありがとう。ご飯を食べに行こう」彼は流暢な英語でそういった。

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バスに乗って、さっきまで私がいたBBQストリートに戻っていくことになる。交通が多く、バスは全く進まず、歩いた方が早そうな印象だ。

ウェイは「(彼が日本に来た)7年前はこんなに自動車はなかった。もっと交通事情が良くてスムーズだったんだ。昔行ったことがある名古屋は地下鉄があって本当に便利だ」と語った。

BBQストリートは昼間とは変わってもっとエネルギーのある空間となっていた。喧騒の中のBBQストリートは絶対オーストラリアよりもエネルギーがあってちょっとお金のある民衆に愛されていて多くの夢を語り憂う場になっているに違いない。

私たちは焼き鳥が多く並べられた「居酒屋」に入った。

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「改めて初めまして、ウェイです。遅れてごめんね、会議が長引いていたんだ」

「どんな仕事をしているの?」

「今は起業して本の通信販売みたいなことをやっているんだ。アマゾンみたいなもんだね」

そんな夢を語る彼が眩しい。話を聞くと、中学生だかのときに日本に来た後、勉強してアメリカに留学したらしい。敬虔な仏教徒で肉を食べないとか書類に書いてあったと母は言っていたが、実際は「そう書くと留学させてもらいやすいから」とかそんな感じのやつらしい。今日も焼き鳥だ。

一応当時は貧しかったミャンマーから日本(ただし名古屋とその隣の田舎)に来たこともきっかけとなり、アメリカの大学に行くことになったとか。大学はキリスト教系のところで中退したと言っていた気がする。肉が好きだったり、仏教に対して興味がなかったりと俗世的なところがとてもいいと思う。

その後はミャンマーに戻り、マンダレーと言う第二の都市でNGOに携わり、その後起業して今に至るようだ。なんか、キラキラしていてとても眩しい。日本のようないわゆる「型にはまった生き方が正しい」と言う社会構造や納税構造もないんだろうか、それとも単にやりたいことをやって結果的にうまく行っているのか。まぁうまくいっているのかは現時点では何もわからないが。

やはり私が今日目の当たりにしたヤンゴンの発展はビルマ人の彼も目を見張るほどらしい。今は皆スマートフォンを持っているが、いわゆるガラケーというものは飛ばした、リープフロッグ現象が起こっているみたいだ。

私はこれまでいった国にドイツやキューバなどがあると言った。言ってしまって後悔したのだが、ミャンマー人にとっては自由に旅行する経済的な力も場合によってはビザもままならない。言うなれば先進国の特権みたいなことを口走ってしまい、後悔をした。

一応母からの言付けで用意したお土産で折り紙の本とか扇子とかお土産を渡した。母から見ればやはり彼は中学生のまま時間が止まっているのだろう。残念ながら彼は折り紙がとても得意なようで、鶴の上位互換のドラゴンみたいなやつをあっという間に折ってよこした。私は鶴と手裏剣ぐらいしか作られないのに。

彼は「ヤンゴンの年越しは水かけ祭りみたいなやつがあって、毎年何人かなくなるんだ。でもとても楽しい」と語った。きっとそう言ったイベントは今後は適当な理由でなくなっていくのだろう。でも、文化は大切だし、経済的にも重要だし、無駄やちょっとしたエスプリが文化になって残っていくのだ。

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「日本にまた行きたい」彼はいった。

「是非来てほしい、東京でもどこでも案内するよ」私は答えた。

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そんな話をしながら、2017年の8月14日は沈んでいく。

この時のミャンマーは、夢にあふれていた。夢がこぼれていた。

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