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【ドイツ】神聖でなければローマでもない。世界第4位の経済大国ドイツの歴史

今回取り上げるのはドイツ。

神聖でなければローマでもないが神聖ローマ帝国を前身とするこの国。

非常に安定した国家でEUを束ねてきましたが、メルケル首相が辞めるとかで先行きが怪しくなってきました。

最近ようやく安定したがまた不安定になってきたドイツの背景にざっくりと迫っていきます。

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ドイツの民族とフランク王国(〜962年)

ドイツは英語だとGermany、ドイツ語でDeutschland、スペイン語にするとAlemaniaです。Alemaniaはゲルマン人の一派らしいです。

ご存知の通り民族はゲルマン人。375年にモンゴル系のフン族に追われてゲルマン人が大移動。ゲルマン民族大移動ってやつです。

当時この辺には西ローマ帝国がありましたが、ゲルマン人が来たことによって滅ぼされます。

しかしゲルマン人一人当たりのローマ人の数は当然圧倒的に多い。

この時ローマ人を統括するために、当時自然崇拝だったゲルマン人もキリスト教徒となって支配をします。

そして481年、メロビング朝フランク王国成立。当時の王はクロービスさん。その後ウマイヤ朝を倒したカールマルテル、カロリング朝のピピン3世、カール大帝と続きます。

カール大帝はフランク王国を広げ、800年にはローマ教皇よりカールの戴冠。場所はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂。カロリングルネサンスとかやってのけます。ヨーロッパの父。

当時は分割世襲だったのでフランク王国の王様が亡くなると三つに分割されます。東フランク、西フランク、イタリア。ローマ帝国もですが、これが原因で弱体化するんですな。

神聖でない。ローマでない。神聖ローマ帝国(962〜1806年)

成立

ザクセン家のオットー1世によって962年に成立します。母体は東フランク王国。

この人も強くてマジャール人(現ハンガリー人)を撃退します。これが強くて教皇から認められて戴冠してもらえます。皇帝として認められたわけです。

ということで教皇から認められた神聖な、ローマ教皇を君主とした(?)神聖ローマ帝国ができました。

なんと1806年まで神聖ローマ帝国は続きます。

弱体化

当時300ぐらいの諸侯がいる領邦でした。

色々あって皇帝権は弱くなっていきます。その色々とは

(1)聖職叙任権闘争での敗北

当初は神聖ローマ帝国は強かったのでローマ教皇に認められたというのがありました。つまり帝国側の方が強かった。しかしキリスト教徒を破門する力を持つ教皇は力を取り戻します。

しかし許しを請うた当時の皇帝ハインリヒ4世はごめんなさい、と教皇に。カノッサの屈辱

(2)イタリアに夢中

イタリアを領土としてハインリヒ4世は狙っていました。国内のことがおろそかになっていた。

(3)皇帝選挙制度

後継が途絶えた神聖ローマ帝国。1258年から選挙で皇帝を決めようということで皇帝がいない時代が続きました。大空位時代。1356年、カール4世が金印勅書をようやく発布。

15世紀からハプスブルグ家が皇帝として選ばれ続けます。

(4)宗教改革・宗教戦争

ルターさんによる宗教改革が起こります。1517〜1555年。

聖書を無視して好き放題やっていた教皇に対してルターさんが95ヶ条の論題。信仰義認説「人は信仰によってのみ救われる」。

神聖ローマ帝国はルター派と戦いつつ、北イタリアを取り合う西フランク王国と戦いつつ、オスマン帝国とも戦うという状態。

1555年、アウクスブルグの和議で諸侯単位でカトリックかルター派か選べるようになったらしいです。

(5)ドイツ30年戦争

しかしベーメンでは領主がカトリックに対して民衆はプロテスタント。それがきっかけで戦争が起こりました。あーあ。

プロテスタント諸侯にデンマーク、スウェーデン、なぜかカトリックのフランスに対し、ハプスブルグ家を含む諸侯が戦います。

1648年、ウエストファリア条約でようやく終了。「神聖ローマ帝国の死亡証明書」。

これでプロイセンとオーストリアが台頭してきます。

オーストリア継承戦争。七年戦争と続きます。

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ようやくドイツが一つに・・・(1806年〜)

1806年、ライン同盟。

1814年にナポレオン戦争の後処理、ウィーン会議を受けて、1815年にプロイセンを中心としたドイツ連邦。

1834年、プロイセンを中心としてドイツ関税同盟。なぜなら産業革命中のイギリスから安価なものが流れてきて国内の産業がダメージを受けるから。

1848年、フランクフルト国民議会でドイツ統一を試みる。大ドイツ主義と小ドイツ主義の争い。前者はオーストリアを含む、後者は含まない。オーストリアにはハンガリー人などがいて統治しにくいから争う。

1867年、プロイセンがオーストリアを倒して北ドイツ連邦。小ドイツ主義の勝利なわけです。

1871年、ナポレオン三世を倒したプロイセンのビスマルクはベルサイユ宮殿で戴冠。当然フランスはブチ切れます。

1871年、ドイツ帝国に。ビスマルクがフランスを孤立させる三国同盟とか三帝同盟とかバランスをとりました。

1914年、第一次世界大戦。

ケルン大聖堂。ドイツ統一の象徴。象徴の意味のため、わざわざ寄付で完成させたんだって

第一次世界大戦後

ベルサイユ条約で天文学的な数字の賠償金がドイツに課されます。絶対払えないやつ。ビスマルクの戴冠の件があったのでしょう。

インフレが起こって云々。

絶対なんともできないので、ナチスが成立、ヒトラー内閣、1939年、第二次世界大戦。

第二次世界大戦後

ベルリン封鎖から始まり、1949年に東西ドイツ成立。

1961年、ベルリンの壁構築。

1973年、東西ドイツ同時国連加盟。

1989年、ベルリンの壁崩壊、ドイツ統一。

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今のドイツは・・・

今(2018年11月)のドイツはキリスト教民主同盟(カトリック・保守)とドイツ社会民主党(やや左)が連立政権を作っています。

しかし州選挙でこの2政党が負けて・・・緑の党、ドイツのための選択、っていう政党が躍進してきました。

昔からポピュリズムの国だったドイツはナチス後にそれから脱却できていました。しかし、今日ドイツのための選択というポピュリズム政党が出てきました。

EUで剛腕をふるい、世界で経済的にも確固たる地位を持つドイツ。難民問題などの対応は世界的は評価されても国内では難しい。難民問題を受け入れた背景はおそらく人口バランスだと思います。

さて、今後はどうなるでしょう。

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