【オーストリア】オーストリアの魅力の源とひとり旅

DSC03152 1024x683 - 【オーストリア】オーストリアの魅力の源とひとり旅 国・街ガイド

オーストリアとか、やっぱ魅力的だし行きたいしできるなら住みたいのだけれど、なかなかそうも言ってられないのが残念な社会。

オーストリアをオーストリアたらしめているもの、その魅力はどこからくるかを歴史とか文化とか一瞬で会話が終わる雑学的なところを中心にお伝えいたします。

[ad]

オーストリアとドイツ・・・?

違うんですけど、全く違うんですけど、なんとなく間違えてしまうのは自分だけでしょうか。

むしろ同じ所の方が少なくって、言語(ちょっと違うけど)・民族的ぐらいしか同じところがない。土台となっている文化は多少同じなれど、歴史的に案外交わることがなくて戦争したことも普墺戦争ぐらいしか知らない。

でもこの二つを比べていくとオーストリアってわかりやすくて、理解が深まります。

未来永劫一つの国家にさせてもらえないドイツとオーストリア

同じ民族でありながら、条約で併合(アンシュルス)は禁止されています。永久に。

背景はWW2にあることはご存知の通り。ナチスドイツがオーストリアを合併して、1945年にドイツが降伏して、そのあとオーストリアは10年間も連合国軍(アメリカ・イギリス・フランス・ソ連)の分割統治へ。

1955年にオーストリア国家条約が結ばれて再び独立します。これの中に併合は永久に認めないって書かれています。そして永世中立国になることも。

歴史を仮定するのもあれですが、仮に永世中立国にならなかったらドイツみたいに東西分断された可能性も高い。

今は双方ともEUでシェンゲン協定に加盟しているので行き来は自由。とはいえ世界が民族主義に傾いたときに火薬になりそうな地域ではありますねぇ。

ちなみに同一民族でありながら合併できない・させてもらえないところってたくさんありますが、重要なところでアラブ人。マグレブ諸国からシリア・イラクまでアラブ人国家なのに、列強が絶対に認めません。

ISとかが台頭してくるのもそういう民族主義的なところがある。これはまた別の話なのだけれど。

スポンサーリンク

え、マジ。ドイツが100万人あたり10.8人、オーストリアが24.2人。

この差が何かわかりますか。臓器移植の割合です。

こちらから抜粋しました。

オーストリアってドイツの2.3倍ぐらいある!すごいみんな積極的に臓器移植してんな!

fdb3b82c2916aaeb56cbf20be06f05aa 1024x488 - 【オーストリア】オーストリアの魅力の源とひとり旅

っていうのは事実ではあるけれど「積極的に」っていうのは違う。消極的な理由もある。

ドイツは「本人が臓器移植に賛成しなければ移植しません」。

オーストリアは「本人が臓器移植に反対しなければ移植します」。

つまり、意思表示をしないサイレントマジョリティーさんたちがこの数字に表れてくる。

っていうか日本少なっ。これは本人の意思の他に、家族の同意も必要みたいなやつがあるかららしいです。これからどうすんだろうね。

スポンサーリンク

オーストリアとオーストラリアの関係は。

DSC03194 1024x683 - 【オーストリア】オーストリアの魅力の源とひとり旅

わかっててもいい間違えんだよ。なんでだろうな。

これは外国人でも間違えるらしい。スロベニア・スロバキア、アルバニア・アルメニアは自分は間違えない(特にアルバニア・アルメニアは日常生活で使いませんが)。

英語にするとAustraliaとAustria。ドイツ語ではAustralienとÖsterreichなので他人の空似だし、読み方違うんですけど。

かつて「オーストリーって呼んで!」って2006年にオーストリアの駐日大使が言い出したらしいけれど、いまではなかったことになってるね。

オペラハウスが有名なのがオーストラリア、オペラが有名なのがオーストリア。

スポンサーリンク

オーストリアの魅力

詳しいところはよそのサイトに当然譲るのだけれど、豊かな自然とハプスブルグの元で醸成した文化、街並み。

DSC03055 1024x683 - 【オーストリア】オーストリアの魅力の源とひとり旅

フィラッハの町にある教会。

オーストリアの世界遺産

全部ウィキペディアへのリンクです。全部文化遺産で、自然遺産は単独では持っていません。

このうち「ウィーン歴史地区」は2017年に危機遺産として登録されています。これは高層ビルとか建ってしまって景観保護の観点からです。

DSC03077 1 1024x683 - 【オーストリア】オーストリアの魅力の源とひとり旅

アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群」はスイス(56件)、イタリア(19件)、ドイツ(18件)、フランス(11件)、オーストリア(5件)、スロベニア(2件)で登録されています。紀元前5000年〜紀元前500年前ぐらいに作られていて、高床式の建物が湖とか湿原とかの上に作られていたんだって。

フェルテー湖/ノイジードル湖の文化的景観」はハンガリーと共同です。

ヴァッハウ渓谷の文化的景観」はメルク修道院とかも含まれるドナウ川沿いの景観。ウィーンから日帰りで行くのもオススメです。

DSC03126 1024x683 - 【オーストリア】オーストリアの魅力の源とひとり旅

メルクの街とドナウ川

DSC03111 1024x683 - 【オーストリア】オーストリアの魅力の源とひとり旅

メルク修道院

スポンサーリンク

シェーンブルン宮殿と庭園群」はハプスブルグ家の所有物。17世紀末にレオポルト1世の指示でバロック調の狩猟の館にされて18世紀半ばにマリアテレジアの指示で拡張、いまの形に。外観はバロック調、内観はロココ調になっています。外観のテレジアイエローは黄金にしたかったけどお金を配慮したのであって、マリアテレジアの好きな色というのはガセらしい。

庭園もすごいです。行ってないけど。

DSC03503 1024x683 - 【オーストリア】オーストリアの魅力の源とひとり旅

DSC03513 1024x683 - 【オーストリア】オーストリアの魅力の源とひとり旅

DSC03508 1024x683 - 【オーストリア】オーストリアの魅力の源とひとり旅

スポンサーリンク

オーストリアの歴史

799-1246年 オーストリアの語源となる「オストマルク」の誕生と発展

オストマルクは東の辺境伯領の意味らしい。東欧と西欧の交通の要所うなのでゲルマン・スラブ・アジア系の民族の往来。8世紀にはカール大帝が制圧して「オストマルク」と呼ばれる。

1246-1438年 ルドルフ1世とハプスブルグ家の広がり

ハプスブルグ家はもともとスイスの弱小貴族。ルドルフ1世が「扱いやすい」として神聖ローマ帝国の皇帝となる。そこからハプスブルグ大作戦が始まります。

とはいえルドルフ1世さんが亡くなってから150年ぐらいはパッとしません。

1438-1648年 「太陽の沈まぬ国」としてのハプスブルグ帝国

1438年、130年ぶりに神聖ローマ帝国の皇帝を得て以来の再びの帝位。この時の皇帝はフリードリヒ3世。この人も「扱いやすい」的な理由で。

16世紀にはスペイン、ネーテルラント、ナポリを支配。「太陽の沈まぬ国」とか呼ばれたり。

1459-1519年まで生きたのがマクシミリアン1世。結婚政策や遠征で領土拡大してハプスブルグ黄金期を作り、芸術を保護。中世最後の騎士。ウィーン合唱団の原型を作った人。

1500年から1558年に生きたのがカール5世、顎が有名な人。コムネロスの反乱でのフランスとかウィーン包囲でのオスマントルコとかプレヴェザの海戦でのオスマントルコとかミュールベルクの戦いのプロテスタント戦とか、たくさん戦いました。

とはいえ後継者問題や宗教改革で権威は揺らいで争いがたくさん起こったり、1618年からデンマーク・スウェーデン・フランスと三十年戦争。宗教戦争です。

このハプスブルグ家が負けた三十年戦争の処理がウェストファリア条約。「神聖ローマ帝国の死亡証明書」として有名なやつ。そういえば神聖でなければローマでもないよな。

1640-1705年のレオポルト1世が三十年戦争で地に落ちたハプスブルグ帝国の復興の足がかりを作った。ウィーン・バロックを開花させた「バロック大帝」とも。この人自身も作曲とかするらしいぐらい音楽が好きで、この人おかげでいまの音楽文化作ったとも。

1648-1789年 オスマンから守り続ける

ドイツ領などを失っているが、絶対君主制を取り続ける。1683年のウィーン包囲とか、スペイン継承戦争などの乗り越えてしまう。ハプスブルグ家最強。

1717-1780年に生きたのがマリア=テレジアさん。16人の子供を産んで政略結婚を進めて行った。

1789-1908年 多民族国家がうまく行かない

フランス革命が起こると王政打倒の流れになる。でも再び王政へ。その後は一民族一国家の流れに。1867年からオーストリア=ハンガリー二重帝国がうまくいかない。

1848年から68年間在位したのがフランツ=ヨーゼフ1世。第一次世界大戦勃発で皇太子や妻のエリザベートが死んだりとかわいそう。英雄的存在。

ちなみにミュンヘンの空港はフランツ=ヨーゼフ=シュトラウス空港ですが、それは他人です。

1914-1938年 WW1

第一次世界大戦で負けて、オーストリア帝国は解体。

1918年にカール1世が即位して2年で退位を宣言したラストエンペラー。とはいえ即位した時にはもう手遅れ状態。スイスで復位を狙ったけど失敗してマデイラ島に流刑。かわいそう。

1938-1955年 WW2

1938年にナチスドイツ支配下、戦後は連合国4国に分割統治。その後永世中立国になる。させられる。

DSC03412 - 【オーストリア】オーストリアの魅力の源とひとり旅
【オーストリア】オーストリアの地政学。東西のバランスの上に成り立つ永世中立国家
オーストリア。食べ物は美味しいし街は綺麗だし音楽も絵も素晴らしい。ちょっと郊外に出れば雄大な自然もある。本当住んでみたい。そういえばオーストリアってなんで永世中立国家なんでしょう。
スポンサーリンク

魅力は伝わりましたか。

何か勉強してから行ってみると違ってみえるかも。

コメント

タイトルとURLをコピーしました