Covid-19が世間を賑わせて一年以上経ってしまった。日本は日本で楽しいし、こんな時じゃないと行かない国内旅行に行っているいう意味ではポジティブに捉えているところである。登山に行ってみたり、(麓で)テント泊をしてみたり、離島に行って不自由さを満喫したり、旅先ドライブでペーパードライバーを脱出したり、三宅島でスキューバダイビングをしたり、石垣島で面倒くさくなってダイビングをしなかったりと時間はどれだけあっても足らないぐらいの満喫だ。
まぁ色々物足らない生活をしているのは継続された今後の課題として、旅のコンテンツに限定したもの足らなさをいうと異文化とか歴史とかそういうものが好物の旅人にとって辛いことの一つだ。
そんなわけで、関東で感じられる海外スポットとして日本とタイの両国に名を轟かせる「ワットパクナム日本別院」に行ってみた。
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「やっぱり海外行きたいよね。仕方ないから東京ジャーミィとか成田のタイ寺院とか行かない?」
そんな意味不明な私の一言で仲間たちが乗っかってくる。
「タイ寺院あるんだ。あ、本当だ、成田。ちょっと遠いから泊まりで行こうか」
オンライン飲みで話をしているとあっという間に決まっていった。早い。
「いついく?」
「泊まりなら4月とかどうかな」
「オッケーです」
行くとなると、本当に話が早い。
* * *
私がこの場所を知ったきっかけは確か秘境ライター高野秀行さんの本だったと思う。あまりはっきりとは覚えていないがそこに成田にタイ寺院があって、取材という形で行ったからかは不明だが、現地の食事も振る舞われたとかなんとか意味のわからないことが書かれていた気がする。
なんとなくずっと行きたいと思っていたのだが、成田となるとクルマを借りないといけないし、一人でそう言ったところに行くのもなんだか物寂しい気がする。海外なら一人で余裕なのだが。
今回の旅は気がつけばメンバーは6人となっており、東京西側組(神奈川の東側)と東側組に分かれてレンタカーを借りていくことになった。ワットパクナム日本別院をきっかけとし、佐原(千葉の小江戸!)、犬吠埼、可能であればひたちなか海浜公園がルートに詰め込まれる。エアビーでいい宿が見つからないため、コテージ一棟借りしてバーベキューなんかすることにしてみた。青春だな。
そんな全旅程はこのブログにとって問題ではない。重要なのはメインであるワットパクナムだ。
今回のレンタカーは上野の日産レンタカーで借りたライトグリーンのノート。明るくてわかりやすい色だ。都内を運転するなんていつ以来だろう。朝はまだいいのだが、信号が多いし人通りが多いしタクシーも多いから運転しにくいことこの上ない。
友人をピックアップして京葉道路に乗り、成田に向かう。
「京葉道路、成田空港行く時しか使わないね」
そう言われるとなんだかエモい気がする。1000円で東京駅から成田空港まで運転するバスでよく成田まで行ったものだ。仕事終わりを定時に切り上げて、バックパックを抱えて八重洲から狭いバスに乗ったことが遠い昔に感じられる。
まぁこんな遊びもCovid-19がなければしなかっただろうから、これはこれでいいことにしておこう。今を全力で楽しもう。
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ワットパクナム日本別院には上野からクルマで1時間半ほどでついた。
ワットパクナム日本別院の周りは長閑な感じでクルマでなければ行きにくいところにしか飲食店はないようだ。先についた私たち東京東側原理主義者たちは割と近くのカフェに行くことにした。お店の名前は麦の薫り。
陽光が照らし出す落ち着いた雰囲気のカフェ。流れてくるジャズに癒される。
私は生活が崩壊してお腹壊し気味であるかつ朝ごはんを食べてきておりお腹がいっぱいだったはずなのにまたクッキーが美味しくてつい食べてしまう。近所の方なのか、誕生日ケーキを取りに来るお父さんとかがいて微笑ましいお店だ。
麦の薫り。
ちなみに、クッキーのテイクアウトも可能。
そんなふうに油断をしていると東京西側組、いや神奈川東側組に置いていかれる。
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「思ったよりタイだね」
入る前からパゴダが頭を覗かせていてタイランド感がある。久しぶりの東南アジア感。屋台まで出ているようだがお店ではないようだ。
「何か催し物あるのかな」
そう思うぐらいの屋台だ。
私たちはワットパクナムの中をのんびり歩き回り、誰も大してインスタグラムとかやっていないくせに「フォトジェニック」とか言いながら写真を撮る。
彫刻や装飾をみても日本にはないものだ。
また東南アジアにありがちな「何曜日に生まれたか」の像と賽銭箱もある。当然、「何曜日かわからない人のため」のものもある。そういえばミャンマーにもそのような何曜日に生まれたかの像があった気がする。このようなページにまとめられている。
なお、ワットパクナム日本別院はタイのワットパクナムが1998年に在日タイ人のために作ったもの。いる人は満遍なく非日本人。全員がタイ人なのかは私には全くわからないがきっとそうなのだろう。
タイの仏教は日本とは異なる南伝仏教(上座部仏教)に該当する。国民の90%以上が仏教徒とも言われている。ワットパクナムの「ワット」が寺院の意味。
タイの仏教には「タンブン」(徳を積む行為;ブンが徳の意味)が観念としてある。徳を積む行為は広義には人助けなどのようであるが、狭義としては寺院や僧侶への寄付。これがちゃんと主体的行為として根付いているのであればタイがまとまりの強い国である根拠の一つだろう。
中央のお堂には入ることができ、そこには煌びやかな仏像が静置され、華やかな装飾が部屋中に飾られている。
書かれている絵はブッダが仏教を開くまでのストーリーだろうか。なんとなく教会にあるキリストがゴルゴダの丘に向かう話を想起させた。
一通り中身の写真を撮り、私たちは帰るかなという空気になる。
せっかくだから裏手まで行ってみる。卵の殻が集められていたりして実家を思い出した。なんとなく荒野感があって整いすぎていない感じは東南アジアといっても過言ではないこともない。
「こんなところまで東南アジア感出している」
と誰かが言ったが、同意できる。
表に戻って帰ろうとしたが、ちょっとまだ何かがある気がして正面の建屋に思い切って入った。どことなくナンプラーの匂いが漂っている。入り口に受付があったので
「ここ、入っていいですか?」
「どうぞどうぞ」
という感じで、中に入られてしまった。
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中に入ると僧侶が舞台に座り、信者が正面に座っていた。奥にはキッチンがあってせかせかと料理をしている。なるほど、この匂いだったのか。
なけなしのコミュ力を振り絞って座っていた信者の女性に状況を聞くと説明をしてくれた。
「12時からお経があって、その後に食事なの。日本人は珍しい。一緒に食べていきましょう」
みたいなことだ。とりあえず、なんだか儀式っぽいものに出られる上に食事までいただけるらしい。素晴らしい仏教国だ。
私と一緒に来ていた一部の愉快な仲間たちは見様見真似で座布団と水入れを用意する。用意しながら他の仲間たちを呼びに行く。外に出ると我らがグリーンのノートの前にクルマが止められて出られなくなっていた。まぁ後でなんとかなるだろう。
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みるみるお堂に信者たちが集まってきて説教、お経をきく。時に笑いながら。
僧侶があらかじめ受け取っていたであろう紙を読み上げてろうそくで燃やす。
僧侶が高い位置から水を私たち信者に振りかける。
なんの儀式かはわからなかったが、おそらく亡くなったものたちに対するものであろうと、なんとなく察した。
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30分ぐらい経っただろうか。お経が終わる。
私たちは記念撮影をしてもらい、食事のお相伴に預かる。まさにタイの家庭料理、どれも日本で食べるタイ料理とは違うダイレクトでエスニックな味がした。
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なお、翌日がお祭りとのことで屋台が準備されているとのことであった。私たちはそれにちょっとでも参加するべく翌日も来たのだが、遅すぎてほとんど終わっており、少し屋台でタイ料理を食べて終わってしまった。
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大きなビルもあり、後で調べたことだが実際ここに住み込んでいる人もいるようだ。
調べてみてもなぜこの立地にあるのか、いつできたのかなどの情報は不明。参考に公式だと思われるウェブサイトはこちら。
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