涸沢岳をサクッと抜けて北穂高に向かうことにする。奥穂高岳・涸沢岳から北穂高岳へのルートに関する情報は非常に少ないが、察するに険しいだろう。
多少は想像していたのだが、始終岩稜地帯だ。梯子や金属棒で足場が作ってあるところも少なくない。ヘルメットが必須なのも頷けるような高度感のある場所だ。
途中、アコンカグアのザックを背負う珍しい登山客がいた。
「アコンカグアのザック!珍しいですね。自分も75L持っています。自分以外に持っている人初めて見ました」
「値段の割に使えますよね!たまーにいますよ」
* * *
すれ違うのもやっとのところも多く、声をかけながら進む。ありがたいことに完璧な晴天ながらすれ違った人も10名ぐらい、追い抜いた人も同じぐらいと自分のペースで歩くことができるのは嬉し買った。
こういった写真を見ていつも思うのだが、どこ歩けというねん。
とはいえ、実際行ってみると道は確かにある。登山道の先々にはペンキマークが書かれており、道迷いすることはない。
迷うことがないのと安全というのは違う。落ちたら命が危ないのは駅のホームも同じなので気をつけるしかない。
最高の晴天で、進行方向には槍ヶ岳が聳え立つ。
ここまで高度感のある場所は初めてだったが、岩場自体は何度か行ったことがある上、三点支持の考え方も聞いたことがあった。それだけは忘れず、気を抜かないように細心の注意を払う。
踏み外したらかなり滑り落ちられそうだ。
ずっとこんな雰囲気で、ポジティブにいえば右も左も正面も最高に眺めが良い道だ。人生と同じで、ネガティブには考えない方がいい。
最低コルというところにたどり着いた。最低コルという文字然り、北ホ・奥ホの文字も可愛い。カリグラフィー。
下山して調べるまで「最低コル」なるものが「登山者に嫌われるほど足場が悪くて最悪で忌み嫌われた最低な印象のコル」と思っていたが、「このルートで最低のコル」という意味らしい。
そもそも「コル」が何かも分からなかったが「鞍部」に当たるところらしい。よく分からん。
ちなみに、カリグラフィーと上に書いたが、カリグラフィーはアルファベットのアートなのでこの場合は誤用。
右を見ると今朝這い上がってきた涸沢カール。涸沢ヒュッテやテント場を展望することができる。
ルートは相変わらず岩を這いつくばって歩く感じ。
数少ないすれ違った人の中にはテントを背負う人もいる。
「槍ヶ岳から来たんです」と大キレットを超えてきた人たちも。こんな晴天、最高に決まってる。登山の残念なところは登山届を出していたり、テントをその辺に置いていたり、次に泊まる場所を予約していたりと柔軟に動くことが難しいこともある。バックパッカー気質がある私は柔軟に動きたいという本音がある。
思わず「めんどくさいな」と思ってしまう鎖場。
結構危ないので要注意。涸沢岳から北穂高岳に向けう場合はこの鎖は下ることになる。
振り返るとこんな感じ。よく下ってきたな。
途中、北穂高岳から奥穂高岳に向かうおじさまとすれ違い、彼は言った。
「なんか、こう、楽しいっすね」
そういえばちょっと前に地震があったことを思い出した。そういえば初夏に涸沢カールに来た夜にも地震があって雪渓が崩れる音を聞いた。
* * *
なんだかんだ、北穂高に着いたと思ってから少し迂回させられたりと、北穂高に着いたのは涸沢岳を出発してから2時間半ほど経ってからだった。
そして途中までは非常に良い天気だったのだが槍ヶ岳の方がガスに包まれてしまっていた。
広い山頂は2名しかおらず、また暑くも寒くもなく過ごしやすい。
奥穂高小屋に行ったりと粘ってみたが、槍ヶ岳は残念ながら見られなかったがまぁそれが目的ではないため大した問題ではない。
小屋でグッズを購入し、証拠写真を撮ってもらい、実質的に今回の山行は終わり。
まだ10時半で涸沢カールに戻っても12時半ぐらいの予定。物足らない感じもしたが、ゴリゴリ登るだけが登山ではない。涸沢でのソロキャンプを楽しもう。
下りの途中、ふと手を見るとグローブの指の部分に穴が開いていた。気がつけば5年程度使ったグローブ。なんとなく達成感を覚えた。
話によると、このルートは大キレットとやらよりも難しいんだとか。トリッキー。
ということで秋の涸沢最高。次回、山飯の話。乞うご期待。
続く。
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