登山口は予想通り真っ暗。同じように朝焼けを見るために今から歩き始める人が大勢いると思っていたが、どうやら非常にマイノリティのようで、登山口にフランス人女性2人組がいた以外には誰もいない。朝焼けが見たい者はどうやらテント泊するようだ。みんなご苦労なものだ。
フランス人女性二人は俺の前を勢いよく歩いて行っていたが、ものの10分ほどでストップした。どうやら温度調節らしい。歩き始めたらすぐ暑くなることはわかっている。せっかく身体が温まってきたタイミングでストップしてしまうのは惜しいなと思い、いつものように俺は薄着に設定しておいた。当面このまま歩けそうだ。
ヘッドライトが登山道を必要最低限に照らす。どうやら森のようだが基本的に何も見えない。登山道はちゃんと整備されているようで、障害物はなさそうだ。最初に少し登ると緩やかな道が続いており、平らとも言えるぐらいの道になる。
基本的に一本道で、分岐があると標識がちゃんとある。時折どれだけ進んだか示す看板もある。親切なものだ。ちゃんと前を見て歩いていれば大丈夫。
俺もしばしばmaps.meを見て登山道から外れていないか確認する。暗いから何も見えないが、明るいときはフィッツロイが見られるのだろうか。
しばらく歩くと空気感が変わり、道が開けるのがわかった。ヘッドライトを消して空を眺めると星が広がる。しかし雲もあるようで、完全に美しい天の川が見られるというわけにはいかないようだ。ヘッドライトを点けて再び登り始める。
俺はこの旅でQOLを上げるためにポータブルスピーカーを持ってきていた。かつて、一度知床の羅臼岳を登るときにクマ防止のためにスピーカーでPodcastで好きな番組を流していたが、それ以外では登山の時にスピーカーで音を出したことはない。やはり登ることに集中したい。しかしここには誰もいないようだし、暗闇を黙々と歩くのもどうにも退屈のため、スピーカーでPodcastを流すことにした。
あまり賑やかな番組は聞きたくないが、ある程度集中できる時間でもある。とりあえずためになりそうなPodcastということで「柿」に関するものを聞いたりする。そういえば俺の実家には巨大な柿の木が一本あり、小さい頃はしばしばそこから取れる柿を食べていた。しかし柿が取れる年と取れない年があり、しかも近年はあまり取れないとのことだ。もう実ることはないかもしれない。例年は全く自分で柿を購入することはなかったのだが、2022年は柿をよく購入した。うまいし安いことに改めて気がついた。
この南米旅に出る一週間前に母が柿やみかんを送ってくれた。みかんも実家で取れることがあるらしく、それもあった柿とみかんをオーダーしてみたら送ってくれたのであるが、それが5個以上ずつあり、一週間では食べられる量の限界を超えていた。しょうがないから柿は一口大にカットして冷凍しておいた。
柿の話を終えたところで、先日映画館でみた「すずめの戸締り」のラジオドラマ版をダウンロードしていたようで、せっかくまとまった時間でもあるためそれを聴くことにする。
この映画は地震を防ぐお仕事をしているなんとかさんが椅子にされてしまって元に戻ることも含めて地震を防ぐために旅をするという内容。
映画の幻想的な星空のシーンが脳裏に蘇り、闇夜の登山道には妙にしっくりきた。
* * *
さて、柿も「すずめの戸締り」も当該トレッキングには関係がないのであるが、そんな感じで闇夜を歩き続けた。
登山道の分岐(すぐに合流する)のポイントには湖があると書かれているのでそちらの方に行ってみる。当然暗くて何も見えない。照らしてみてもよくわからない。ひょっとしたらすぐ左側には湖が広がっているのだろうか、だとしたら危ない道である。
森に入ったり、森から出たりしながら一つ目のキャンプ場につく。手遅れかもしれないが、俺はスピーカーを黙らせる。
キャンプ場なのは構わないのであるが、この中をどう歩けばいいのかわからない。昼間であれば看板とかも容易に場所がわかって登山道も示されているだろう。スマートフォンを取り出してmaps.meで現在地を確認する。Google Mapよろしくかなり高精度に場所がわかり、次に進むべき方向もわかる。不便益も結構だが、こんなところで迷っていては日の出に間に合わない。こういうときは潔く文明の利器だ。
さらに進んでいくと沢のようなところに出た気がする。
地面が開け、水によって削られた形状の石とわかるのだ。
開けているためどっちに進んで良いかわからず、道かなという方に進んでみたが、5分ほど経つと違和感を覚える。地図を見るとやっぱり間に違う方向に行っていた。
* * *
3時間半ほど歩いただろうか、ヘッドライトが突然消える。再度電源を入れると30秒ほど頑張ってくれるのであるが、また消えてしまう。
まじかよと思いながら騙し騙し進むのも限界がすぐにきてモバイルバッテリーで充電することを余儀なくされた。充電しながら歩くことも不可能ではないが、頭からケーブルが生えている様子が滑稽なのは見えないので耐えられるとはいえ、引っかかったりすると危ない。
いつも通り休みゼロで歩いてきてしまったので、この辺りで自分自身の充電を兼ねて休むことにした。
どうなっているかはよくわからないが、森を抜けて階段上のところを登っていた。左側は崖のようなところになっているのか闇が広がる。星は幾ばくか煌めいている。
一枚羽織り、日本から持ってきていた行動食を食べ、水分を摂る。冷えた水が闇夜にひとり佇む俺を浄化するようだ。
振り返ってみると300メートルほど後ろだろうか、灯りが三つ四つと見える。うち二つは先程のフランス人だろうか。そのほかにも歩いている人はいたようだ。そしてやはり俺より前には誰もいないようだ。
地図を見ると目的地まであと1時間程度で着きそうだ。今が3時ごろなので十分朝焼けには間に合う。
* * *
そこから少し進むと闇夜でも急登とわかるところに着いた。そう、最後1時間が急登と野良ブログにも書かれていたのでそのエリアに差し当たったようだ。
足場も砂礫のようで歩きにくいが、あと一息頑張ろうじゃないか。
黄色い矢印が進むべき方向を示してくれているものの、どこを歩けば良いか釈然としないところも多くある。
実際にコースアウトもしたようだが、なんとか地図を見て場所を修正した。探り探り、足を大きくあげてラストスパートをかける。
* * *
ラスト1時間、急登を終え。正面にフィッツロイが見えた!
雲が多少かかっているのがわかるが、闇夜に見えるそれのシルエットはかっこいいというよりもおどろおどろしく、迷いの森にある木々のような不気味さを醸し出していた。
目的の湖の見えるところまで一気に登り、俺は一息をつく。4時といったところか、まだ一時間ほど時間はあるようだ。
ヘッドライトを充電し、ダウンをはおる。そこまで寒いわけではなかったが、ダウンパンツも履いてグローブ、ニット帽を被る。これで持っている防寒具総動員だ。
スーパーで買った巨大なバナナを頬張る。この辺でバナナだとエクアドル産だろうか、アルゼンチンでも取れるのだろうか。やや高かったが、食べ応えがありとても美味しい。
食べ終わると三脚を立ててフィッツロイの朝焼けに備える。うっすら明るくなってきており、星がさらに少なくなってきている。フィッツロイのシルエットもさっきよりもはっきりと見えてきた。
気がつけば人も続々と集まってきた。一部では大声ではしゃぐやつらもいる。流石にスペイン語で大声で騒がれるのは情緒的な趣に浸ろうという俺の意に思いっきり反するため、俺はノイズキャンセリングイヤホンをつける。
あたりは静寂に包まれる。
とは言わないものの、ノイズキャンセリングによって自分の世界が広がる。
クラシックの「主よ、人の望みの喜びよ」「G戦場のアリア」「カノン」といった曲を流し始め、明るくなりつつあるフィッツロイを見上げる。雲が少しかかっており、完全な姿にはならない。
自分の写真を撮ったりして遊んでいるとだんだんフィッツロイが染まってきた。
雲が少しかかっている。
俺は祈り続けた。
雲、抜けろ!
雲、抜けろ!
しかし、粘度のある白い水蒸気は山の表面にまとわりついて取れない。
祈ることしかできない。
フィッツロイが赤くなる。
一瞬。
5分もあっただろうか、これか、と思っているうちにすぐにフィッツロイは色を変えた。赤色が下の方へと映っていった。
俺の背後の太陽は雲に隠れた。
* * *
その後1時間ほど粘ったが、二度とフィッツロイは全貌を現さない。
寒いし、下山しよう。
雲に隠れたフィッツロイを背後にする登山道は、それだけで圧巻の美しい道だった。
(了)
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