【ジンバブエ旅行記3】初めてのアフリカ・ジンバブエひとり旅!青年海外協力隊のギャップと生き方

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青年海外協力隊に行きたかった。というか行ってみたいと思っていた。ソロモンに行くところまで決まっていた。

いざ行くとなると、散々悩んだ。ちょうど一年前のことだ。

旅に出るようになって世界の見方が変わってしまった結果とも言えるが、それまでキャリアとかそういったことに対してほとんど悩んだことがなかったため、ある意味通過儀礼的な意味として私にとっては必要だったと思う。

上司には迷惑をかけて申し訳なかったと思っている。

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青年海外協力隊員の苦しみ

上記のような事情から、当然経験者ほどではないが表面的には青年海外協力隊を知っている。

このジンバブエのビクトリアフォールズバックパッカーズアンドロッジにて、今回の旅の第一号となる青年海外協力隊員と会うことになる。

* * *

彼のことをNと呼ぶことにする。

Nに会ったのはザンベジ川でのサンセットツアーからロッジに戻ってからのことだ。

ロッジのキッチンのところで会った。ロッジでの第一日本人といったところだ。

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他に話す人もいなかったので、挨拶がてらNに挨拶をして話をすることにした。近くのスーパーで買ったという肉々しい弁当のようなものを食べている。ビールも合わせて美味しそうだ。

「ひとり旅ですか?変わったところに来ますね」

自分が彼に聞いたのか、彼が自分に聞いたのか忘れた。

彼は「ザンビアで協力隊員やってます。ゴールデンウィークということで友人が日本からくる予定です。でも南アフリカとか世界の比較をしたかったのだけれど、来週末にケープタウンで行われる選挙で治安が悪化しているからJICAに止められてしまって」

そういっていた。南アフリカに一番期待していたようだ。

今回はたびレジにちゃんと登録していたのでケープタウンのことは私も知っていた。

※「たびレジ」は外務省が運営するサービスで、渡航先の情報などを登録する。危険情報などがメールで通知される。有事の際も支援してくれんだとか。

Nはあまりにも激務で理想からかけ離れた高校教諭を自己啓蒙という形で休職し、青年海外協力隊として活動しているんだとか。

私の本職と縁が遠すぎて高校生の頃を思い出さざるを得ないのだが、公立の高校教諭という仕事は事務的なことが非常に多く、残業が月当たり100時間を超えていて残業代もろくにでないんだとか。

「JICAの支援も本質的ではない」「ザンビアは支援に慣れすぎている」「働かない」「意味があるのか」

今に満足できていないようだった。私も以前どこかで聞いたことがあるような話を聞かせてくれた。そんなことを語るNはひどく頭が良さそうで、とても格好良かった。きっと大物になる。

人生プランの中で開発途上国で2年という期間は悪くはない。ただしタイミングがある。新卒や数年勤めただけであれば能力が不足して結局何もできない。30歳近くになると仕事的にはだいぶ身についた後ではあるが、その後の人生プラン(場合によっては再就職、経済的状況、ライフプラン)との兼ね合いで参加が難しい。私も後者であった。

私は参加を悩む時、経済的障壁以外にも様々な心理的障壁を感じた。

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制度的障壁

正直、会社の制度の中で行けるのが最も望ましい。大企業で人的余裕があればダイバーシティー的な意味でもWIN-WINである。かつかつの人員で回しているような組織では非常に厳しい。うちの会社は復帰を基本的に認めなかった。

社会人的障壁

また帰国後も不安だ。当然JICA側は悪くない話ばかりを宣伝するが、職種によって異なるだろうしから参考程度だ。私は技術者だからなんとかなる気もしたが、今より良い会社に就職できるとは思わなかったというのが結論だ。

心理的障壁

帰国後に日本の社会に溶け込むことができるのか。一度実家に帰ることになるがそれでいいのか。

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私の場合は行かない理由を探していたのであろう。通過儀礼的意味として非常に意味のあることであったとは後悔は現時点では基本的にない。

* * *

話が逸れた。Nの話だ。

マラウイとの国境あたりでの活動らしいが、それなりの街ではあるらしい。ザンビアの発展を妨げているのは流通と未熟な産業が一番だという。

ザンビアという国は借金が多すぎ、ルールからIMFなども資金を供給できない状況であるが中国はお金を貸し付けているなどといった話をしてくれた。

Nは言った。高校教諭の立場でも、今の協力隊員の立場でも最も大切にするように伝えていることだそうだ。

「彼らは比較ができない。今で満足してしまっている。他を知って自分をよくしようと思っていない。」

「とにかく道がない。流通上、不便すぎる。物流がなければ国として発展が遅れる」

的を得ている。だが残酷な気もした。

* * *

全く関係ないのだが、この翌日の明け方、枕元に置いていたEチケットの入ったファイルを二段ベッドの隙間から落としてしまい、気になって朝早くベッドの下に潜って取りに行ったところ、ベッドの下段にぶつかってしまい、そこで寝ていたオーストラリア人にひどくびっくりされた。

逆の立場だったら怖くてしょうがないだろう。

「I am sorry. I dropped my passport under this bed」

ごめんな、気になってしょうがなかったんだ。

* * *

翌夜、チョベツアーから帰るとロッジでNに再び遭遇した。

N「ドイツ人の方と会いました?なんか明日村行くらしいですね。私もいっていいですか」

俺「歓迎ですよ!行きましょう」

ドイツ人のおっちゃんの持つ日本車の表記の英訳をするとか、友人の乗る予定だったANA便がひどく遅れてビクトリアフォールズに来るのが二日間遅れるんだとか、そんな短い話をしてこの日は早く寝た。

* * *

「バックパッカーズロッジ」という名の宿泊施設のドミトリーに当たり前のように泊まっているが、ふと考えた。

自分は「バックパッカー」というものに分類されるのだろう。毎回ではないが、今回は新調した75Lもある巨大なバックパックで旅に来ている。

当初はバックパッカーになるつもりはなかったし、気がつけばズブズブとそう呼ばれるものになっていった。

ある意味必然なのかもしれないけれど意図的ではなかった。別に嫌ではないが、バックパッカーという無責任な意味も含有する響きが好きとは言い難い。

だからと言って、旅が好きだから、そのスタイルとしては別に構わないかとも思う。

なんて思った。

続く

第一話はこちら。第二話はこちら

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