「奈良時代」。
鎌倉や安土・桃山はあっても「京都」や「東京」は時代区分にはない。
奈良。すごく素敵な文字面だと思う。この文字だけで伝統を感じて上品な感じがするし、魅力的な感じがする。
そんな世界遺産都市、奈良は奈良市へ行ってきた。
私の出身は愛知県の郊外で、ど田舎とは言わないけれど、決して華麗なる文化都市ではない。車に乗れば名古屋駅まであっという間で、尾張地域の神社や岐阜近くのお寺とかはよく行った。今でも帰省した時には車を走らせてもらって神社とかお寺に行く。
小学生の時分、夏休みと冬休みの早朝には兄弟や友達と自転車を走らせてお寺に行き、お経を読んでいた。今思えばよくわからないし、なぜそんな頑張れていたかもわからない。身内が亡くなる高校生の頃まで真宗大谷派ということも知らなかった。考えることもなかった。
今調べてみると読んでいたのは親鸞聖人が作られたという正信偈なるもののようだ。
実家を離れて仏教的なものから疎遠になって久しいけれど、親しみがないわけではないし、かと言って好きなわけでもない。
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奈良は3度目だった。
一度目、小学生の時の修学旅行で東大寺で大仏を拝んだり鹿ちゃんにせんべいをあげる遊びをしたのは今でも覚えている。
二度目、大学一年生の頃にサークルの同期と行った。この時も東大寺に行ったことは間違い無いのだけれど、特別鮮明に記憶が残っているわけではないというのも不思議なものだ。この時は同期たちと一緒に旅行をすることが目的であり、コンテンツに関しては格段価値を置いているものはいなかったと思う。
三度目。今回は奈良に行くべくして奈良に行った。友人がガイドしていくれるということで、修二会に合わせて伺った。
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修二会は伝統が長い分、エピソードも多い。呼び名だって「お松明」とか「お水取り」とか複数ある。しかし「お松明」や「お水取り」は一連の儀式の一部であり、全てをひっくるめて「お松明」とか呼ぶのは違うようだ。
お松明は東大寺の二月堂に上堂する練行衆の道明かりとして灯されるもので、おそらくとても目立つものであることから修二会全体を呼ぶように転じたと考えられる。なおこのお松明は3月12日だけ11本、他の日は10本。
修二会の期間、それに参加する僧の家の門にはしめ縄のようなものが飾られ、東大寺の二月堂に至る正倉院側の階段にも結界が張られる。僧はそこから出てはいけないという。
詳細は専門的な書物などに譲るが、そういった情報は実際にものを見て話を聞かねばすぐに抜け落ちる。後から調べて「あーそうだったんだ、見落とした」となるのが関の山。ガイドの力って素晴らしいね。
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私たちがいった3月1日はお松明の初日。東大寺の二月堂前は結構な人だかりで、その後方にいたからいいものの身動きが全然取れないぐらいだった。
早い人は2時間前の17時ぐらいから待っている人もいるという。この日は土曜日だったとはいえ、きっとピークを迎える12日はもっとすごい人だかりなのだろう。
19時。照明が暗くなる。鐘が鳴り、木の後ろに松明が灯ると人がざわめきだす。皆がスマートフォンやカメラを上に向け、人の手が視界を阻む。
松明を持った練行衆が二月堂を走り抜けるとさらに盛り上がる。
「二月堂は燃えないのかな」「危ないよね」「よく1268年も続くよね」「毎日とか大変」なんて各々がおもいおもいの感想を漏らす。
※松明自体が大きくなったのは中世以降らしいです。
暗闇の二月堂を照らしながら走り抜ける松明は、幻想的で、伝統の重さと簡便・合理思想の現在へのアンチテーゼのように映った。
東大寺のウェブサイトはこちら。
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前日の疲労が残る二日目の朝、奈良町のゲストハウスでガイドブックを開いてみたら、今回は見なくてもいいかなと思っていた東大寺の大仏の写真が飛び込んできた。
いても立ってもいられなくなり、飛び出した。
なんとか我慢している灰色の空の下、日曜日の奈良公園は朝9時前とはいえ結構な人と鹿がいたけれど、縫うように早歩きで1203年に仁王像とともに竣工したという南大門を抜ける。
チケットを購入してゲートを抜け、目の前に広がる荘厳な大仏殿を見たとき、日本の建築美に息を飲む。いろいろな国で石造りの建物や教会を目にしてきたけれど、どこの国とも趣の違う優しさと厳しさを備える仏教建築に感動を覚えた。
東大寺の大仏こと盧舎那仏像は昔見たよりも小さく見えた気がした。私が前見た間から大きいものを見過ぎたからかもしれないし、前に見た時の「すっごく大きい!」という印象だけが残っていたからかもしれない。しかしその姿の凛々しさと曲線美は前よりも美しく、落ち着いて見えた。
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何をするにも主体的に動くことで得られるものの価値が上がる、こんな当たり前のことは旅では特に感じるものだ。
こんな最高の公園にすぐにアクセスできてカフェもたくさんある。
奈良町。ほんの一部しか知らないけれど、住んでみたいと思った。
俗世に疲れた方や鹿ちゃんが好きな方は是非メインに据えて行ってみてください。
愛知県のこのお寺もいいよ。
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