旅にのめり込んだきっかけはあるものの、登山にのめり込んだきっかけはどうにも明確には答えられない。
周りの人たちは「北アルプスで見たご来光がすごかったから」とか「仲間と食べる山ごはんが最高だったから」とかちゃんと返ってくる。確かに俺もそれは非常に同意できる。
だから自分自身もそういうことにして「八ヶ岳で見た雲海からの朝焼けがすごかったから」とか「涸沢の星空が綺麗で」とか当然答えることもできる。しかし、現実には楽しい仲間たちに巡り会え、山ごはんとか雪遊びとかしているうちに、気がついたら面白くてやめられなくなった、ぐらいが正しいのかもしれない。
俺は旅も登山も遅咲きで引け目を感じている。もっと伸ばしたい願望はあるものの、時間的経済的制約があるし、そんなことを言い訳にして草食系なものしかやれていない。沢とか雪とか岩とか、ガンジス川でバタフライとかダナキル登山とかキリマンジャロ登山とかやりたいことは山ほどあるが、痛い思いはしたくないし、悲しい思いはしたくないしさせたくない。そんなこと言っていては新しいことに挑戦できない。挑戦しなかったら失敗もしない。現状維持バイアスというやつだ。ちょっとずつやっていこうじゃないか。
「現状維持とは穏やかな衰退」と誰かが言っているように、ちょっとずつでも新しいことに挑戦していく。石橋をすっ飛ばすことはどうにも苦手だからちゃんと前を見て進んでいく。狙っているわけではないが、気がつけばそんな生き方をしている。
てなわけで、奇跡的にキャリアチェンジな転職にも成功しながらも、前職を振り返る余裕もないまま、有休消化に入って直ちに俺はパタゴニアに向かった。
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俺は海外の山の名前なんてほとんどわからない。アコンカグアがチリなのかアルゼンチンなのかもよくわからない(調べてみると、どうやら一応山頂はアルゼンチンらしい)。トレス・デル・パイネも最近まで知らなかった。山脈の名前は割と知っているが、北米最高峰とかそういうのも思い出せない。
そんな中で数少なく覚えている山がある。そう、フィッツロイ。友人が何度か言っているから刷り込まれた。Patagoniaのロゴにあって、その中で一番聳え立っているあれだ。
そういうわけで、フィッツロイの朝焼けを見ることが今回の旅の最も大きな目的の一つ。
というのは簡単であるが、それを実行するのはいささか面倒臭い。国内の登山やトレッキングの準備だけでも面倒臭いのに海外でそれをやるなんて面倒臭さもひとしおだ。しかしその面倒臭さを乗り越えることが素晴らしい経験となることも肌を持って知っている(わかっていても避けてしまうことは多いのだが)。それを進められる人たちは本当にすごいと思うし、巻き込まれたいし自分からもそうしていきたい。
そんな面倒臭さの極みみたいな朝焼けのフィッツロイであるが、それを見るためには二つの方法がある。
①テント等を用意して登山道にあるキャンプサイトに泊まる
②夜な夜な歩き始める
のいずれかである。
①のメリットとしてはテント泊自体が楽しい、早起きしなくていい、明るいうちに登るため登山道を楽しむことができるといったことが挙げられる。デメリットとしては荷物が重たい、面倒臭いの二点である。特に「面倒臭い」が極めて面倒臭い。
②のメリットとしては荷物が少ない、デメリットとしては登山道登りが暗いためそれ自体を楽しみにくい、ちょっと危ないということであろう。しかし調べてみると登山道に危険なポイントはなさそうだし、私はある程度暗い中での登山経験もある。
ほんの少し迷った挙句、面倒臭さの点で遥かなアドバンテージを持つ②を選択することにした。
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日本を出てから遠かった(いや、現実的には東京から成田空港までも恐ろしく遠いのだが)。
まずフィッツロイを見るために最初に降り立つ土地がアルゼンチンのエルカラファテ。
エルカラファテに辿り着くまでに成田からNY、リマ、ブエノスアイレスを経由した。当初のチケットではニューヨーク、リマ、サンティアゴ、ブエノスアイレスの流れだったのだが、ありがたいことにリマからサンティアゴのLATAMがキャンセルとなってリマからブエノスアイレスに一っ飛びすることができた。
エルカラファテに行くこと自体も一つの目的である。その目的としてはロスグラシアレス国立公園のペリト・モレノ氷河を見ること。
ペリト・モレノ氷河自体も素晴らしい絶景であるのだが、今回の本旨はそこではないので別の機会としよう。
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ペリト・モレノ氷河を堪能した翌日、俺はエルチャルテンの村に向かう。
エルカラファテからエルチャルテンはバスで移動できるが、エルチャルテンに空港等はないためブエノスアイレス等から直接エルチャルテンに入ることはできない。
俺は朝8時発のエルカラファテからエルチャルテンへのバスチケットをWebで購入し、エルチャルテンへ向かう。
Wi-Fiこそないものの、バスは二階建てで新しく座り心地も良い。しかしながら荷物は投げ入れられるため、パソコンを入れていたこともありひやっとした。
また極めて謎なのだが、朝8時以降のバスも含め、同じ時間に出発するバスが業者違いで3社とか4社とか複数あること。値段も同じであるためユーザーにとっては選びようがない。
これがゼンチンクオリティなのだろうか。
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エルカラファテからエルチャルテンへの道の眺めが素晴らしい。
パタゴニアの大地には緩やかな丘とシルキーな湖が見える。
緩やかな丘は薄くて広い雲を低い位置に製造している様子を見ることができる。普段から日本の山々に登っているため日本のとんがった山々が雲をガンガン製造していく様子はしょっちゅう目にしていたのだが、それとは似て非なる製造物。山岳地帯と天候の違いが生じる理由が目視で伝わってくる。
気候は生物、文明が進化していく上でもっとも重要なファクターの一つであるが、その気候を作る条件の一つが地形。上記のように山の形もそうだし、湖の有無も雲の製造に大きな影響を与える。
海だって極めて重要だ。海は大地と比べて比熱が大きいため、近くの大地は季節・昼夜での寒暖差が小さくなる。海流も大地に大きな影響を与えるし、また雲の原料となる水分を供給する。
つまり地形から気候が想像でき、気候が想像できると作物や人間活動の推定にもつながるのだ。
この南アメリカ大陸の西側(太平洋側)にはペルー海流(フンボルト海流)が流れている。寒流であり、それが大気を冷却して雲ができにくくなる。
パタゴニアの大地を見るとなんとなくナミビアを思い出す。ナミビアは湖こそないものの、緩やかな丘陵があり、どこまでも行っても何もない。パンゲア大陸だったときに隣接していたことがあるためか、それともたまたまなのか、どことなく似た雰囲気を感じた。
二階建てバスの進む車道は大地の間を縫うように引かれている。車道の脇には柵がしてある。動物が出入りしないようにするためなのかよくわからない。時折バイクで進んでいる旅人、ヒッチハイクを試みるものもいる。いろんな生き方があるものだ。
だが確かにこの大地でレンタカーも楽しそうだ。どこでも止めて写真を撮る。気持ちよさそうだ。
またグアナコもしばしば目にする。
ペリト・モレノ氷河のツアーに参加するまで知らなかったが、この南米には4種類の似たような哺乳類がいるとのこと。そのうち一つがグアナコだ。
グアナコがリャマの原種、ビクーニャがアルパカの原種らしいが、統一的な見解はないようだ。リャマはアルパカより大きく、グアナコはビクーニャよりも大きいらしい。説明してくれていたがわかるようにはならなかった。パタゴニアあたりにいるのがグワナコで、ビクーニャは3,000メートル以上のところにいるらしい。
そんなぼんやり外を見ていると3時間ほどでエルチャルテンの村に着いた。
(続く)
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