エルトゥールル号という船を聞いたことがあるだろうか。なんとなく耳にしたことがある人も多いだろう、なんたって語感がいい。しかしちゃんと知っているのは歴史マニアかトルコファンのいずれかだろう。
この分類に則ると、私は歴史マニアとまではいかないためトルコファンということになる。
そんなわけで、和歌山に行く機会があったのでエルトゥールル号ゆかりの地、紀伊大島・串本町に喜び勇んで行ってみた。
エルトゥールル号とは?
このトルコ船に乗ったエミン・オスマン司令官の元、1889年にイスタンブールを出港、11ヶ月をかけて横浜港に到着。オスマントルコの皇帝アブデュルハミト2世の親書を明治天皇に奉呈。トルコと日本の平等平和条約締結促進、親善というミッションを終えた。
主たるミッションは上述の通りであったが、イスタンブールを出港し、スエズ運河を抜けてイスラム教国に威厳を示しながら日本にやってきた。
という平たくいってそれだけのものであった。使節一行は東京に3ヶ月間滞在し、その間に多くの観光をしたという。
この船は1864年製の木造、つまり出港するときには25年も経っていたことになる。
エルトゥールル号はなぜ有名なのか?
エルトゥールル号はなぜこんなにも有名なのか。
1890年9月15日、横浜港を出港。しかし、9月16日には台風に遭ってしまい和歌山県串本町大島樫野崎沖を公開している際に岩礁に激突。587名が殉職、生存は69名という大事故となった(参考)。
それは、和歌山県串本町沖で座礁をし、被災したトルコ人を救ったためである。当然、救われた側の国は感謝をするわけであり、トルコ=親日国となっていくきっかけとなる。
その後、オスマン帝国滅亡まで正式な国交は結ばれなかったが、その後は日本とも親密な関係を築いており、イラン・イラク戦争の際にトルコ政府は日本人をイランから脱出させるために航空機を手配するといった恩返しもある(解釈はお任せする)。
2015年の映画「海南1890」もこの史実が元になっている。
2012年の外務省の調査によると、トルコでのエルトゥールル号の認知は29.9%といまだに高い。
紀伊大島ではエルトゥールル号が深く学べる
①トルコ記念館
紀伊大島のトルコ記念館にはエルトゥールル号が出港してから日本が救助するまでの内容が細かく示されており、トルコとの関係を学ぶことができる博物館。
施設内の窓からはどこで事故が起こったのか、その岩礁を見ることができる。
②トルコ軍艦遭難慰霊碑とアタチュルク像
慰霊碑がある。
ちなみに珍しくケマル=アタチュルクの像もある。
ケマル=アタチュルクはご存知の通り、第一次世界大戦で崩壊したオスマン=トルコをトルコ共和国として発展させたトルコ建国の父であり、トルコリラ紙幣に肖像画が載っている。また空港の名前にもなっている。
功績は無数にあるのだが、例えば脱ムスリム国家を進めてカリフ制、宗教学校。シャーリア法廷を閉鎖、アラビア文字の廃止とラテン文字の導入、ギリシャとの住民交換、地名のトルコ語化、市場経済の導入、一夫多妻制の廃止などなど。
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日本とトルコの関係、紀伊大島の楽しみ方が伝わっただろう。トルコの雑貨屋さんもある。
なお、串本町には本州最南端の潮岬や神様の暇潰しで有名な岩もある。ぜひ、トルコを感じるついでに訪問してみると良いだろう。
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