マルタの首都、ヴァレッタ。なんとなく黄土色のイメージで、教会が中にあって・・・というイメージの方も多いのではないでしょうか。
マルタという国やヴァレッタについて知っておけばより楽しむことができます。そんなマルタの首都、ヴァレッタについてご案内いたします。
マルタとは?
マルタは地中海に浮かぶ島。
ざっくりと言ってリビアとイタリアシチリア島の間に浮かぶ地中海の平和な島国です。
通貨はユーロ、言語は英語で旅はしやすい。Wi-Fiもそこら中に飛んでるし見所も多い。治安も最高のため女子の一人旅にも人気です。またイギリスと比べて物価が安いため、ヨーロッパ域内で英語を勉強したいけどイギリスはちょっと、という方にとって短期留学する人も多くいます。
日本人だけでなく非英語圏のヨーロッパや南米からの英語留学先としても人気です。
マルサイムシェット・ハーバーとグランドハーバーという二つの天然の良好に恵まれています。
マルタの歴史(遠い昔)
マルタは紀元前5,000年ごろにシチリアから人が移り住んだと言われています。紀元前2,000年にはマルタの人の痕跡がなくなり無人島となりました。
その後紀元前1,200年ごろからレバノンからフェニキア人、そしてギリシャ人がやってきます。カルタゴがマルタ・シチリアを属州化しますがポエニ戦争でローマに負けてローマのものとなります。
その後の395年のローマ帝国の分裂でマルタは西ローマ側となります。533年にビザンツ帝国となり600年ごろにはイスラム教が入ってきます。870年にはマルタはアグラブ朝チュニジアに入ります。そのためマルタの地名にはアラビア語の地名が残っています。
世界遺産都市:ヴァレッタの市街
首都のヴァレッタは世界遺産の都市として有名です。
オスマン帝国(トルコ)の襲来に備えて聖ヨハネ騎士団によって建設された城塞都市。
ヨハネ騎士団は十字軍としてオスマン帝国からエルサレムの奪還を試みましたが、戦いに敗れ、キプロス島、ロドス島へと敗走して1530年にマルタに本拠地を移します。
1565年にオスマン帝国のマルタ大包囲戦に勝利し、聖ヨハネ騎士団は街を建設、城塞都市ヴァレッタができます。この聖ヨハネ騎士団の団長はジャン・パリソ・ドゥ・ヴァレット。
1571年にはスペインを中心としたカトリックの連合軍に聖ヨハネ騎士団はレバントの海戦でオスマン帝国に完勝。ヴァレッタには豪華な建造物が作られます。
ヴァレッタの街の基本設計はイタリアの建築家フランチェスコ・ラパレッリ・ディ・コルトーナ。フランチェスコ死後はマルタ出身の助手ジェローラモ・カッサールが聖ヨハネ大聖堂、戦勝の聖母教会、騎士団長の宮殿などを手掛けました。
聖ヨハネ大聖堂は騎士の出身地の言語別に八つの礼拝堂があります。
ヴァレッタが建設された、その後。
1798年、ナポレオンの進行によって聖ヨハネ騎士団はヴァレッタを追われます。しかしナポレオンへの反発が強くなりイギリスの力を借り、今度はイギリスのもとに入ります。
1802年、イギリスは撤退と騎士団の復権が図られますが結局イギリスはマルタに滞在。
第一次世界大戦では反イギリスの動きがあり、大戦後にはマルタの自治が認められます。第二次世界大戦ではイタリアの空爆に遭います。
1964年、イギリス連邦王国内の国家として主権をもちます。1974年に共和国化、1979年に本当の独立となります。
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いかがでしたか。
文化が入り乱れているのが分かります。イタリアっぽいけどアフリカっぽい。なぜか英語。そんなマルタは本当に魅力的。
是非訪れてみてください。
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