自然には癒しの力がある。
森の中や滝の近くで「わーマイナスイオンだ〜」とか言ってしまうときの、あれだ。
さて、マイナスイオンとはなんだろうか。大学で化学等を齧った方はご存じだろうが、陰イオン(OH-やCl-)は英語で「Neagetive ion」や「Anion」と呼ばれ「Minus ion」とは呼ばれない、「マイナスイオン」をWikipediaで調べると意味不明理解不能な内容が出てくる。
だが、自然の中で感じる力は確かにある。人間普遍的にあるようだ。ということは「物質としてある」もしくは「人間の共通の心理現象として存在する」のいずれかである。再現性がかなり高い上、心理状態に関わらず「マイナスイオン的な何か」を感じることから前者であると考えられる。
よって、ここでは「物質としてある」何かに着目しよう。
「マイナスイオン」なるものはどのようなときに感じるのか
どのようなときに「わーマイナスイオンだ〜」というのだろうか。
前述のように森の中、滝の近くである。
つまり環境としては緑色状態の植物に囲まれている空間、水が自然の中で破砕されている周囲、ということになる。
緑色の植物ということは例えばひまわりが咲き誇っているところやトウモロコシ畑、紅葉、黄金色の田んぼではその感じ方は弱い。
水が自然の中で破砕されている周辺ということは、周りに岩や木々が生い茂る滝、場合によっては沢や森の中の雨も該当する。この空間も周りに緑色植物があるときに「マイナスイオン」なるものを感じやすい。一方で波がバンバンくる海では感じにくい。
おそらく緑が必要なようだ。
果たして人工の空間で「マイナスイオン」なるものを感じるのか
人工の空間で「マイナスイオン」なるものを感じるだろうか。
都市部の雨、噴水、植物園、お花見・・・ゼロではないが、感じにくい。噴水では多少感じなくもない気がするが、おそらくそれはただの水蒸気だろう。
「マイナスイオン」なるものを感じにくい理由は緑が足らないからだろう。
「マイナスイオン」に緑色植物は必須!その正体は・・・フィトンチッド!
以上のように「マイナスイオン」なるものには緑色植物に囲まれるのは必要なようだ。水は必ずしも必要ない可能性が高いが、あるとより感じやすいようだ。
その癒しの正体はフィトンチッドと呼ばれる物質と考えられる。植物のエッセンシャルオイル(精油)に含まれるテルペノイドがその効果の正体で、リラックスの効果があるとされる。森林気相現象によって揮発物質であるフィトンチッドを植物の幹などから大気中に分泌させている。
ロシアのレニーリングラード大学のボリス・トーキン氏が植物の周りで微生物の増殖が抑えられる現象から発見した物質で、その名の由来は「植物」を意味する「Phyto」と「殺す」を意味する「cide」から作られた言葉。
では「マイナスイオン」なるものは存在しないのか?
答えとしては「物質としては存在しない」。
一方で「概念としては存在してしまう」ということ。
つまりメディアなどを通して「マイナスイオン」なるものがあるかのように一般社会に特定のニュアンスを持って伝えられるため、「マイナスイオン」が概念として存在するようになってしまった。
概念として、というのはメディアなどはその物質としての存在に言及しないため、疑似科学的な意味が先行してしまっているということである。
無理矢理いうのであれば「マイナスイオン」≒「フィトンチッド」にもなろうが、電荷を持つ状態としての「イオン」の定義はフィトンチッドの定義には現れないようであるから、その考えには無理がある。
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